小口城址公園

小口城址公園
休館日 月・火曜日、年末年始。ただし火曜日が祝日と重なるときは、次の水曜日が休館。
利用時間 展示棟・物見櫓 9時0分~16時30分
親から子へ語り継ぐ歴史
かっての小口城に思いをめぐらせて

物見櫓

高さ17m。犬山城、岐阜城、清洲城などがどの方向にあるのかを表示し、当時の眺望を思い描くことができます。

公園写真

公園

公園写真

門と橋

小口城址公園南入口の顔で、名古屋城二の丸大手二の門をイメージしました。お堀を渡る橋の仕様は木橋で、親柱には擬宝珠を設置しています。

 

展示棟

小口城の歴史的変遷についての説明や展示、出土品の実物展示などで、小口城についての理解を深めます。小口城と周囲の城との位置関係などを模型と映像との組み合わせで楽しくごらんいただけます。

遊具

子どもたちが気軽に遊べるような遊具を設置しました。戦国時代の砦をイメージした木製遊具や、合戦をイメージした馬の動物遊具があります。


かつて小口城があったと語り継がれ、親しまれてきた「城山」。
ひととき歴史を感じながら、ゆったりと歩いてみませんか。

小口城址公園は、私たちの憩の場である五条川沿いに、順次公園整備をおこなう「大口町リバーサイド公園構想」の一つとして、南の堀尾跡公園、桜橋公園とともに、北の拠点として整備した公園です。
この公園の敷地は、町にとって大変重要な史跡で、発掘調査の結果、戦国時代の砦の跡とみられる礎石や内堀等が検出され、この城山が伝承だけでなく、実際に小口城が存在した、ということが証明されました。
そこで、この貴重な文化的遺産を子どもたちに残し、未来に伝えていくため、公園という形で整備をおこなったものです。
小口城の歴史的な移り変わりや出土品などを紹介する「展示棟」、小口城からの眺望を再現する「物見櫓」、歴史的情緒あふれる「門・塀・橋」が皆さんを戦国時代へと誘います。
また、公園内には桜を植栽しており、将来は五条川と結ぶ「桜のスポット」として、皆さんに親しんでいただけることでしょう。


小口城と織田氏

小口城は、町の北部に位置し、その城域はかなり広く、絵図や地誌などから四方に二重堀・土塁を巡らした強固な城であったことが分かります。北東に犬山城、南西に岩倉城、南東に青塚、小牧山の砦というような位置関係にあり、小口城は軍事的に重要な役割を果たしてきました。
小口城は、長禄3(1459)年、織田遠江守広近によって築城されたと言われており、別名「箭筈城」とも呼ばれ、織田氏の尾張経営の中心的役割を担ってきました。その後、永禄年間(1558~1569)に信長の軍勢に攻略され廃城となったようですが、天正12(1584)年小牧・長久手の戦では、一時的に秀吉方の前戦基地として再興されたこともありました。政治的・軍事的にいかに重要な位置にあったかが伺われます。
初代城主の広近は、尾張国守護の斯波氏の守護代であった織田氏の初期の人で、守護代であり岩倉城主の兄・敏広を補佐すべく、小口城を拠点に犬山に木之下城を築城し、美濃の勢力に対抗し、尾張北部を治めていきました。広近は、地方の武将でありながら、かなりの実力者で、『文正記』によれば、文正元(1466)年、大軍を引き連れ、主君である尾張国守護斯波義廉を助けるために上洛しています。また、『親元日記』には、広近が一族と共に将軍家(足利義政と妻の日野富子)に進物を贈った旨が記されています。また、出家し小口城の近くに徳林寺を再興、更に「万好軒」という隠居所(現在の妙徳寺)を造り、亡くなるまでここに住んでおり、大口町にとってゆかりの深い人物と言えます。
その後、小口城は、岩倉城や犬山城の支配下であったらしく、更に『信長公記』によれば、信長が小口城を攻略した頃の城主は「中嶋豊後守」となっており、また、余野神社には「謹奉…中嶋佐兵衛尉」と彫られた鰐口があることから、16世紀後半には中島氏が小口とその周辺を治めていたと思われます。

作成日 2010年8月26日